畜産動物レポート


私たちは毎日のように畜産と接しています。肉や卵を食べ、牛乳を飲むことはすべて畜産によって賄われたものです。しかし多くの人々は、スーパーマーケットなどで既にパックに詰めて並べられた物を買うため、それらがもともとは生き物であったことを意識しないでしょう。けれども私たちの食卓は、毎日たくさんの生き物の命がおかれているのです。その生き物たちも、私たちと同じように親や兄弟、仲間たちとともに過ごした時間があり、「この世に生まれてきた」奇跡がありました。しかし、私たちは生きていくために彼らから大切なモノを奪ってしまったのです。せめて、彼らの一生を知り、少しでも彼らに「生きる喜び」を知ってもらうのは、命をいただく者としての義務ではないでしょうか。どうか、彼らの一生から目を背けないでください。


家畜の定義として次のことあげられます。
・人間の与える環境の中で生存することができる。
・家畜としての生産性(肉・卵・乳を作る力)を十分に発揮することができる。
・形質(能力)を次世代に伝えることができる。
・飼育目的に向かって(人間にとってより都合のいいように)改良する(家畜としての生産性を常に向上させる)ことができる。
人間はこの定義のもと、野生動物の家畜化をしてきました。


 約12000年前、狩猟目的としてイヌが家畜となりました。約9000年前には、人間と食物を取り合うことのない反芻獣(ヤギ・ヒツジ・ウシ)が家畜化され、やがて約8000年前、食料供給が安定してくると人間の残飯で飼養することができるブタが家畜となりました。そして5000年前にはウマやニワトリも家畜化されました。
 
 
ウシは人間が狩猟生活から農耕生活に変わった時から家畜化されました。ヨーロッパではオーロックス、アジアではゼブーという野生の牛が労働力、または食用として導入されました。ウシは人間の食べることのできない草を主食とするため、人間との間に食料の競合がなく、しかも栄養価の高い動物性タンパク質の生産をしてくれるということで家畜として人間は利用し始めたのです。
 日本でも奈良時代から貴族の間では発酵乳を薬として利用していました。明治時代までは食用の目的ではなく、日本在来牛(和牛)を役用牛(農耕牛)として飼育していました。(日本でもっとも有名な黒毛和種の原種は山口県萩市の見島牛で、この牛は現在特別天然記念物に指定されています。)明治初期、乳専用種がアメリカ、イギリス、オランダから導入されました。「世界の五大品種」と言われる、エアシャー、ホルスタイン、ガーンジー、ブラウンスイス、ジャージーはこの時期に日本に入ってきたものです。初め、牛乳は在日外国人に牛乳を供給するためで、当時はまだ日本人にとって牛乳は高価で抵抗がありました。第二次世界大戦後、敗戦した日本に学校給食制度がつくられ、牛乳の国内供給量が急激に増加しました。同時に国内生産量も増加し、国内乳牛飼育頭数も増加しました。その後高度経済成長を経て、日本でも肉の需要が増えたのです。現在では、バターやチーズ、ヨーグルトなどの乳製品としての需要が高くなりました。
 乳牛の代表的な品種はエアシャー、ホルスタイン、ガーンジー、ブラウンスイス、ジャージーなどです。とくに有名なものがホルスタインとジャージーですが、主にホルスタインは乳量を目的として、ジャージーは乳脂肪を目的として飼育されています。ホルスタインは多いものになると年間2万kgもの乳を出します。これは人間が
家畜として改良した結果です。
 乳牛を飼っていく上では多くの病気があります。自然にかかる病気もありますが、家畜化に伴ってでてきた病気もあります。本来は草しか食べない牛に穀類・配合飼料を過剰に摂取させたり、飼料を急変させたりすることで起こる第1胃食滞(第1胃の運動が止まる、腹痛症状、重症のものは死亡)、出産後の濃厚飼料の過剰給与による第4胃変位(胃の転位、食欲減退)、発酵しやすい生草(マメ科草など)の過食、飼料の急変による鼓張症(腹部がふくれ、呼吸困難になる)などがあります。昨年日本でも発生した口蹄疫のような伝染病は一頭が発病すれば飼育している全頭を処分します。
 肉牛の主な品種はヘレフォード、アバディーンアンガス、肉用ショートホーンがいます。日本では黒毛和種をはじめとして、褐毛和種、日本短角種、無角和種がいます。特に黒毛和種は日本の中でとても人気のある有名種です。しかしこの和牛の育成は、牛自体を苦しめるだけでなく環境の上でも悪影響を及ぼしています。その上で得られるものと言えば、贅沢をするためだけの肉です。和牛に人気があるのは肉がやわらかいからです。では何故ほかの肉よりやわらかいのでしょうか。黒毛和種は小型で晩熟であった在来和牛を改良したもので、一時(明治末期頃)外国種を交雑して体格を大きくし、発育速度、飼料利用率がよくなりましたが、肉質が悪くなり、資質不良となったので、この雑種繁殖は約10年で絶えました。その後、在来牛の美点維持、雑種牛の美点を付加する方針で改良され、今日の黒毛和種が成立したのです。この和牛の肉は脂肪交雑(サシ)のはいった質としてとても優れたものとなりました。しかし、筋肉(筋繊維)の間に脂肪が入り込むのは生体を考えると異常なことで、出荷時期を誤ると病気で死んでしまうことすらあります。大げさに言えば、霜降り肉は病気の牛の肉なのです。肉をやわらかくするためにはトウモロコシ、大豆などの穀物を多く利用します。しかし実際、日本での生産量ではそれらを賄うことは不可能で、大量の穀物を輸入に頼っています。海外では肉の人気がために値段が10倍にもなったといいます。これでは食料として簡単に手に入れることが難しくなります。トウモロコシの世界生産量は約6億トンです。そのうち4億トンは飼料用として利用されています。そのうちの10%でも人間にまわせば難民が助かるといいます。10%飼料作物が減ると5%肉の生産が減ります。しかしこれはたいした量ではないのです。アメリカ人と日本人が5回に1回肉を食べる機会を減らすだけでまかなえるのです。私たちの贅沢は、牛の体をボロボロにし、難民を作り出しているのです。ここまでして、いい肉を食べる必要があるのでしょうか?贅沢をする以前にもっと大切なことがあるはずです。

 
ブタはヨーロッパイノシシ、アジアイノシシが家畜化されたものです。日本では仏教の伝来とともに食肉が禁止されましたが、江戸時代に長崎の出島でオランダ人が飼育し、キリシタンなどが密かに食べていました。ブタは雑食性なので飼料の利用性が高く、動物性・植物性・副産物を食べて速やかに栄養価の高い肉を生産することができます。とくにビタミンB群(B1,B2)を多く含みます。主な品種としては、デンマーク原産のランドレース種、イギリス原産の大ヨークシャー種、中ヨークシャー種、バークシャー種、アメリカ原産のハンプシャー種、デュロック種などがあります。肉の用途別により3タイプに分けられ、生肉用型(ミートタイプ) {ハンプシャー、バークシャー(薩摩の黒豚といわれるもの)、デュロック(以前はラードタイプ)}、加工用型(ベーコンタイプ){ランドレース、大ヨークシャー}、脂肪用型(ラードタイプ){中国:梅山豚(メイシャントン)}にそれぞれ分類されます。現在では純血種はあまり食用にせず、雑種をよく利用します。雑種強勢(ヘテローシス)といわれ、品種間交配をすることによりできた雑種は健康的・能力的に強くその子の能力は両親以上の成績が期待されるからです。
 ブタは繁殖能力に優れ、年間に約2.5産することが目標とされています。成長も早く、約半年で肉として出荷されます。しかし改良の結果、体の成長スピードに足の強さが追いつかず(起立不能になることもある)、足関係のケガが多く(足の裏は犬猫の肉球のように柔らかい)、生まれつき貧血状態です。狭いところで飼育し、肉質を良くするため、オスは麻酔を使うことなく去勢手術をされます。経済動物には極力お金のかからない方法がとられるためです。約半年の間(100〜105kgになるまで)肥育しますが、そのうちの6割はストレスにより胃潰瘍になっています。妊娠期間が114日と短い上、一回の分娩で10頭前後の子豚を出産します。そのためいかにこの長所(と思われているところ)をよりのばして、肉質を向上させようと今でもいろいろな(人間のための)努力がなされています。年間2.5産を目指して、分娩から21日間の授乳期間ののち離乳させ、その5〜7日後には次の出産のための種付けを行うのです。せめてこのブタたちの肉が私たちの贅沢のためではなく食糧不足に苦しむ人のために使われるとよいのですが…。


 ニワトリは赤色野鶏(インド・東南アジア)、セイロン野鶏(セイロン島)、灰色野鶏(インド南部)を原種とし、用途は卵専用種(レイヤー)、肉専用種(ブロイラー)と卵肉兼用種に分けられます。卵が産まれてから21日で孵化し、約二日かけて餌付けがされます。初生ビナは未消化の卵黄嚢から栄養を吸収します。品種としてはイタリア原産のレイヤー・白色レグホーン種、アメリカ原産のブロイラー・白色コーニッシュ種と白色プリマスロック種、卵肉兼用種・横斑プリマスロック種とロードアイランドレッド種、そして日本では卵肉兼用種・名古屋種がいます。
 ニワトリは本来、就巣性(巣に就き、卵を抱き、ヒナを育てる習慣でその間は卵を産まない)が強いのですが、改良の中で就巣性をなくすことで常に卵を産むようになりました。また、約一日一個の卵を産み、ある一定数卵がたまらない限り産み続ける性質を利用して卵をとっています。また、換羽の時期(夏と冬の日の長さによって換羽する)は卵を生まなくなるので、室内で点灯飼育することで日の長さを一定にし、いい卵を産まなくなってくると換羽して休ませずに一斉に淘汰します(オールイン・オールアウト)。
 ニワトリの性質としてつつき合いがあります。もともと本能として備わっているのがペックオーダーという優劣順位を決めるためのもので、これによって集団生活をするための社会的順位を決めます。もうひとつがカンニバリズム(尻つつき)で、これは社会的順位とは関係なく出血部位や粘膜を好んでつつく習性(悪癖)です。ストレスやカルシウム不足などによって引き起こされます。
 バタリー育雛器(立体育雛器)を利用した飼育が行われていますが、ゲージの金網で足が傷つき歩けなくなるものがたくさん出ます。しかし、平飼いにすると糞から感染するコクシジウム症などの伝染病にかかりやすくなります。



畜産動物は肉質をより良くし、飼育もしやすくするために、去勢手術が行われます。
雄畜の肉は精巣からでるホルモン(アンドロジェン)の分泌により硬く臭くなってしまうので、それをなくすために去勢手術が必要とされています。
そんななか、最近気になる事件がありました。

カナダ人女性が自分の猫を日曜大工の一環として去勢したことで科料に処せられた。
22才の彼女は無麻酔でペットのティガーを去勢するのにナイフを使用した。法廷により女性は虐待のため100ドルの罰金を科せられたが、猫の所有は許容された。この女性は以前農家で働いていた時、ブタの去勢をしていたと主張し、動物が麻酔されていなくても去勢することは公然のことと認識していたとのこと。畜産動物で容認されている形式があるように、経験上一般容認された行為があると推測されるが、これは犬やのような飼い慣らされた動物に枠を超えてはいない。(2001年7月27日金曜日)

この記事で取り上げられている「無麻酔での手術が畜産動物で容認されている」という言葉はあまりにも知られていない「畜産動物の苦しみ」のひとつをあらわしているのではないでしょうか。
では、なぜペットには麻酔を行う手術を、家畜には麻酔なしで行うのでしょうか。これには次のような理由があります。
・畜産動物は経済動物であるため麻酔の代金がもったいない。
・術後の回復が早い。
麻酔をかけるような手術をあまりしないもうひとつの理由はそこまでの大手術をするのであれば食肉として出荷してしまった方が経済的であるので、たいていの場合、去勢手術は麻酔をしません。
たとえば豚の場合、離乳期付近(去勢の目的は肉質をよくするためなので肉が硬なったりくさくなったりする前)に手術をします。睾丸を取り出す手術で、消毒はしますが縫合は行わずそのまま元の群れの中に戻し、術後しばらくは定期的に傷口を消毒します。

畜産動物に対しての人間の考え方は「経済動物」ということです。個体一つ一つの命よりも利益を優先しています。しかし、家畜をペットのように育てていては生活が成り立ちません。
畜産動物について、私たちは「知らなかった」だけではすまされないのです。彼らの命をいただいているのは、彼らにこんなにも苦しい生活を与えているのは全て私たちのためだからです。だからこそ、少しでも良い環境を作り上げることが私たちの義務でもあると思うのです。あまりにもひどい現状があれば消費者が声を上げていかなければならないのではないでしょうか。

畜産動物については畜産家の経営や生活のこともあるのでなかなか改善は難しいかもしれません。しかし、「もし何か死にそうな病気や事故に遭えば、治療するよりも、生きている間なら食肉として出荷したほうがいい。」といった人間のエゴと「満足を知らない」心が他の動物たちに多大な迷惑をかけているのです。



レポート/「アニマルズ&ネイチャー」セクション







ブロイラーの体験記「Destiny〜生命の輝き〜」

  一見、ガラクタにしか思えないアルミの輪。「3」の数字が刻まれたこの輪には、私と「トモ」の思い出がたくさんつまっているのです。忘れられない、大切な思い出が…。

10月1日
私は相模ユウキ。農業高校畜産科の学生です。私達の学科では、1年生の2学期にブロイラー、つまり肉用鶏の飼育があります。そしてこの日、私は運命の出会いをしたのです。

ボク、今日生まれたの。そしたら、他にもボクと同じヒヨコがいっぱいいて、箱に入れられてどこかに連れてこられたの。みんながウワサしてることによると、ボクたちはニンゲンってヤツに育てられるんだって。今、外でいろんな声がするのが、ニンゲンの声だって。ニンゲンってどんなヤツなんだろ。ボク達みたいに羽がはえてるのか
な?あ、箱の天井が…。
 
箱の蓋が開けられて一人一人にヒヨコが配られました。そして、私にも一羽のヒヨコが渡されました。フワフワの黄色い羽毛と、ほんのりとあたたかい体温が手を通して伝わってきます。あたたかい…
それはこの子が「生きている」ということ。小さな体に、大きな命を持っているということ。
そして…私は三ヶ月後に、この命を消さなければならない。私はこの子を殺すのだ…
私は迷いました。この子にどう接していけばいいのか、わからなかったのです。このヒヨコが、とても怖く見えてきます。いや違う。私は恐れているのです。私とヒヨコの宿命を…

ボクたちは、ニンゲンに抱かれた。なんてやさしい手なんだろう。ボクをあたたかく包んでくれる。ボク、この人が、ニンゲンが大好き。ボクこの人とお友達になるんだ!

…かわいがったら、屠殺に耐えられないかもしれない。
そんな思いが、浮かんできました。じゃあ、ほうっておけば…?テキトーに育てれば…
いや、やはりそんなことはできない。今、この手で感じたこの命に、そんなことは絶対にしてはならない。彼らは家畜であり、私達人間が生きてゆくために命を奪われる宿命にある。彼らにしてやれるせめてもの償い。私はこの子が生きている間、精一杯かわいがってあげよう。家畜であっても、私達と同じ一つの命。生きている間だけでも、幸せであってほしい。最期に「生きててよかった」と思ってほしい。
…私、毎日君といるからね…約束するよ…

ボク、「トモ」っていうの。この人がつけてくれたの。この人と一緒にいるの、とっても楽しいの。ほかのニンゲンや、みんなと一緒に、草の上でお昼寝するの。風がフワーッて吹いて、とーっても気持ちがいいんだよ。ボクいつまでも同じことたっていたいな。ずっと、こうして…
「トモ、お前、大きくなったねぇ。最初は30gだったのに、もう100gにもなったんだね。」
ユウキちゃんがほめてくれた。ユウキちゃんはボクを最初にだっこしてくれた、ボクの大好きなニンゲンなの。ボク、毎日いっぱいゴハン食べて、遊んで、大きくなってるんだよ。

私は毎日、朝早くから放課後も真っ暗になるまでトモと一緒に過ごしました。休みの日も、友人のサツキとそれぞれのヒヨコを連れて、草の上に寝ころんで一日を過ごしました。…とても幸せだった、友人やヒヨコ達と一緒に過ごした時間…
太陽の光に照らされて、トモの個体番号「3」の刻まれたアルミの輪が時折、キラリと光っていました。
それは小さな、そして大きな命の輝き…

ボク、今日、注射と目薬したの。痛かったけど、泣かなかったよ。エライでしょ?そのあとでね、クチバシをちょっと切られたの。痛くてちょっと泣いちゃったの。でもね、予防注射と一緒で、ケンカしたときにケガしないようにだって。…あ、泣いたのナイショにしてね…

10月29日、伝染病予防のための予防接種と、「尻つつき」という悪癖を予防するための「デビーク(嘴先端切断)」が行われました。もうすっかり白く生え替った羽に針を刺すのですが、予防のためとはいえ、やはり生き物を傷つけるということには抵抗を感じました。そしてデビーク。「尻つつき」をすると、ひどいときには死に至ることさえあるのです。しかし、熱い刃で嘴を焼き切るのは気が引けました。
こんな私に、本当に屠殺なんてできるのだろうか…不安がつのってゆく…

11月23日。私たちの学校で文化祭がありました。そしてその日の放課後、鶏舎でクラスの友人達とトモ達と遊びました。友人グループの一人、カズキを女装させたり、カズキの親友ユウジとトシアキがプロレスをしたりしています。その隣の草の上でトモ達が寝たり歩き回ったりしています。もうすっかり、ニワトリになったトモ。体重も2kg以上になり、鶏冠もだんだん出てきました。もうすぐ…そう、あと一ヶ月を切った。こうやって平和な笑い声の響いているこの鶏舎で過ごすのも、あと少ししかないのだ。宿命の日へと、時が刻まれてゆく…

−12月−
季節は冬。吐く息が白くなります。それでも私はトモとの約束どおり、毎朝早くから鶏舎に通った。サツキも私と一緒に朝から晩まで、ニワトリの世話をした。12月に入り気候が急に変わったせいで、ニワトリが次々に死んでいきました。前の日まで何もおかしいところはなかったはずのニワトリが朝行くとすでに硬くなっていたことは、この頃毎日のようにあったのです。私とサツキはその度に友人に死の宣告をしなければならず、「自分は何をやっているんだろう」と、絶望にも似た感情が沸いてきました。どうしようもない無力感…

あのね、最近、みんなが言うの。ボク達は殺されるために生きているんだって。ユウキやサツキや、カズキもユウジもトシアキも、みんなボク達を殺そうとしてるって。
そんなの信じられないよ。みんなボク達のことかわいがってくれるんだよ。もうすぐ、ユウキが来る時間だ。…ボクはユウキを信じてる。だって、ほらこうして、やさしく抱っこしてくれて撫でてくれる…

12月8日、その日も私は朝、早速鶏舎に行きました。ニワトリが次々死ぬようになってから私の目は自然と死体がないかを見るようになっていました。そして…やはり一羽。すでに足も伸びて固まって冷たくなっていました。鶏冠が紫色になり、仰向けで…。その脚帯に目をやった私に衝撃が走りました。
「ハナビ…」
ハナビはカズキのニワトリです。昨日までトモと一緒に遊ばせていたのに、どうして?なぜこんな急に…
私がどうしていいかわからなくなって混乱しているところに、サツキが来ました。
「ユウキ?」
サツキに呼ばれ、混乱状態の中ハナビのことを話しました。とりあえずいつものように担当者に知らせるため、電話ボックスへ走りました。何度こうやって電話しただろう…。
−はい?−
「あ、中沢さんのお宅ですか?相模ですがカズキ君いらっしゃいますか?」
−どうした?−
「…ハナビが…死んだ…」
−え!?−
「だから…来てほしいんだけど…」

40分ほどしてから、カズキが来ました。私ははずした脚帯をカズキに渡しましたがカズキは何も言いませんでした。ハナビの動かなくなった姿を見ても、カズキは「ふうん。」としか反応しませんでした。意外な反応に私は怒りすら覚えました。カズキは悲しくないのだろうか。あんなにハナビのことをかわいがっていたはずなのに、何も反応しないの?カズキにとってのハナビの存在ってそんなものだったのだろうか?
「さ、テスト勉強しなきゃならないから教室に行こうか?」
カズキが私とサツキを促し鶏舎を出ました。
ところが、鶏舎を出たとたん、カズキはこらえていたものが溢れ出したのでしょう。
次から次へとあふれてくる涙をこらえきれず、足を止めて泣き出しました。「カズキ、無理しなくていいよ。」私とサツキも足を止め、他の生徒に見られないようにそっとカズキを端の方へ連れて行きました。カズキは必死になって泣きやもうとしましたがなかなか気持ちを切り替えられず、少し歩いては止まってしまいます。「ゆっくり行けばいいよ。」サツキの言葉に頷くカズキ。そんなカズキを見て私はさっき思ったことを後悔していました。カズキが平気なはずない。辛いのを我慢していたのだ。苦しかっただろう。私もサツキも言葉をかけることができず、ただカズキが落ち着くのを待ちました。

その日の放課後、私とサツキとユウジとトシアキは、カズキと一緒にハナビの墓を作りました。カズキはハナビと脚帯を入れ、土を被せました。ユウジが元気づけようと明るく振る舞い、トシアキが隠し持っていたタバコを取り出し「線香代わりに」と墓にさしました。
−ハナビ、安らかに…。−そして、屠殺の日は10日後に迫っていました。

12月12日。藤川君のニワトリが衰弱しきっていました。11月の中頃、足を骨折して立てなくなってからエサを食べず、急に弱っていき、そして今日、最期の力を振り絞るように息をしていました。懸命に生きようともがくニワトリをサツキと二人で見守っていました。何もできない自分が悔しかった。
2時間ほど後、彼は壮絶な死を遂げました。私たちが見守る中、急に吐き、暴れはじめ、…やがて大きくのびをすると、目の光がフッと消え、そのまま二度と動くことはありませんでした。

ボクの周りにいた鶏達が、減っていくの。ハナビ君にも会ってないし、他にもどんどんいなくなってるの。どこに行っちゃったんだろ。ボク…何となくだけど、ボクももうすぐどこかに行かなきゃならない気がするの。…どうしてだろう…

2日後。小椋君のニワトリの様子がおかしくなりました。急に開口呼吸をし、暴れて、首が据わらなくなり…藤川君のニワトリと同じです。そして動かなくなりました。解剖室に先生がいたので知らせに行くと病理解剖してみようということになりました。
死因は急な温度変化により飲水量が減ったのが原因の「尿酸塩沈着症(痛風)からくる心不全」でした。

12月17日。とうとう屠殺日が明日に迫りました。私はトモと一緒に写真を撮りました。二人で写る最初で最後の一枚。動物は雰囲気で何となくわかるんだからそんな顔してちゃだめだよ、とサツキに言われました。けれどどうしても覚悟しきれない、この不安定な気持ちが先走ってしまうのです。わかっていたことだ、屠殺しなければならないのは。それでも、わかっていてもかわいがってやるんだ、そう決めて今までやってきたのです。覚悟していたはずでした。けれど、最初に感じた、あのあたたかさが忘れられないのです。
別れの時は刻一刻と迫ってくる…

12月18日。空気の澄んだ、よく晴れた朝でした。ゆっくりと太陽が昇り、地上に光が差してゆく。そう、今まで、毎日見てきたこの景色。二ヶ月半ほどの間、寒い中毎日通ったこの鶏舎。
午前7時半。鶏舎に着いたとたん、涙が出てきました。今までトモと過ごした時間の、たくさんの思い出が頭の中で再現されていきます。楽しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと…色々な、トモやサツキたちとの思い出。今日で…すべてが終わるのだ。

学期末のため、すでに短縮授業になっていたその日、4時間すべて使って屠殺が行われました。毎日、朝夕測っていた体重。最初は32gしかなくて手のひらに乗るくらいの大きさでした。今では両手で抱えるほど大きくなったトモ。そうか、君はこんなにおおきくなったんだね。順番を待っている間、私間ずっとトモを抱きしめていました。

ユウキが抱っこしてくれるの。いつもよりギュって。ボク、ユウキに抱っこされるの大好き。

「一班から屠場に来い」と先生の指示。行かなければ…そう思うのですが、足が動きません。頭の中が真っ白で、膝がガクガクと震え、涙が溢れ、動けなくなってしまいました。同じ斑のトシアキやカズキに「ほら、行こう…」と言われても、恐怖が、不安が、どんどんつのっていきます。
「いや、怖いよ…!」それだけを何度も繰り返し…

ユウキがさっきから泣いてるの。どうしたのかな。「怖い」んだって。大丈夫。ボクがいるよ。だから平気だよ。トジョーって所に行こう。

屠場での先生の説明中も、震えと涙は止まりません。ただただ、トモを抱きしめていました。説明中、先生が一羽のニワトリの首を切りました。血が溢れ出し、暴れるニワトリ。大きな漏斗に頭から入れられると、やがて足が動かなくなり、その命を閉じました。トモも、もうすぐ…
「じゃあ、順番に…」
ついに来た。トシアキと小椋君が一番目に二人一組で屠殺をしていきます。漏斗に頭から入れられ、足が動かなくなり…が次の瞬間、トシアキのニワトリは暴れて、漏斗から出てきたのです。白い羽は血で赤く染まり、床の上にも血が落ちる。暴れるニワトリ。もがいて、苦しんで…そしてもう一度漏斗に入れられると、そのまま動かなくなりました。

あれ?どうしたの?みんなが叫んでる。「助けてくれ!殺さないでくれ!」って。何だろう…。みんなが逆立ちして、動かない。何が起こっているんだろう。ねぇ、ユウキ、ボクどうなるの?今から何が起こるの?トジョーってどんなところなの?

「相模、お前の番だぞ。」
あと少ししかない…もう…トモと別れなくてはならない…最期にもう一度トモを抱きしめました。
大きくなっても、最初と変わらない…トモ…あったかいね…お前は生きているんだね…
全てが終わってしまう…10月から始まった二人の思い出が、ここで途切れてしまう…
カズキの手が伸びてきてトモを押さえました。そう…やるのだ…屠殺を…
私はトモを殺すのだ…

「一気にやらないと、余計にかわいそうだよ。」と先生が言いました。私はそっとトモの首を持ちました。そしてもう片方の手で包丁を握りました。全身が震えている。
でも、今、涙は止まった。「泣く」なんてものではなく、どうしようもない苦しさがこみ上げてくる…。
…トモ…!ごめん…っ!
手を…包丁を持った手を、思い切り…引いた…。

ユウキの声が聞こえた気がした。ボクを呼ぶ声。その瞬間、首の所が変な感じがした。ボクの体から何かが抜けていく。…これは…血…?
ボク、死ぬの?どうして?どうしてユウキはボクを殺すの?ボク何か悪いことした?
ねぇ、ユウキ…信じてたのに…
ひどいよ…ユ…ウ……キ……

トモの首を持っていた手を離すと、トモと目が合いました。トモの声が聞こえるような気がしました。私を信頼してくれていたトモの私に対する怒りの声…。逆さにされ、漏斗に入れられると、トモの足が動かなくなりました。
私はその瞬間、耐えられなくなって外に出ました。押さえていた悲しみ、後悔、恐怖、自分への怒り…すべてが涙になって押し寄せてきました。
私は…トモを殺した…

ニワトリ達のいなくなった鶏舎を掃除してしまうと、何もかもが夢だったような気がしました。この二ヶ月半のことも、トモというニワトリがいたことさえも…。
けれども私の手の中には、あの「3」の数字の刻まれた脚帯が握られていました。
二度と命の光を灯すことのない輪。トモ…本当にごめんね…

トモの命を無駄にしないために、私はトモを食べました。伝わってくる温かさ…
でもそれは命のあたたかさではありません。のう、あのぬくもりは戻ってこないのです。トモを殺してよくわかったこと。当然だけど忘れかけていた事。
「命は失ったら戻ってこない」ということ。この世で、その命はたった一つ。命が消える瞬間、目の輝きがフッと消え、「者」から「物」になってしまうのです。
トモを殺した日、家のネコを抱いた。伝わってくるあたたかさ、そして、命の動き…
不思議でした。
この子は生きて、動いているんだ。…そして、もうトモは帰ってこない。似ていてもそれはトモではない。トモはどこへ行ってしまったのだろう…

−半年後−
私はこうして今、トモとのことを書いています。そして、その間に何度もトモのことを思い出しました。思い出すたびに悲しくなるけれど、それでも少しづつトモの死を冷静に受けられるようになってきています。そう、トモは家畜であり、生きられる時間は限られていました。もちろん、こんな考え方はニンゲンのエゴだと思います。確かに、トモを殺したという事実は、今もどこかで悔やんでいるけれど、それまで生きていた間のトモとの日々には全く後悔していません。私も、トモも、限られた時間を精一杯生きました。トモは自分の死ぬ日の事なんて気にしていませんでした。ただ、その一瞬一瞬をがんばっていきていました。

トモを通してたくさんの出会いもありました。その友達と「私たちが出会ったのはきっと運命だ」と話しました。
「運命」−そうかもしれません。トモと出会わなければ今頃はきっと出会わなかったであろう人たちとこうして話していられるのですから。
「サヨナラはまた新しいスタート」
私の好きな歌の歌詞です。そう、「別れは出会いの始まり」なのです。トモのことは決して忘れない。けれど、悲しんで、立ち止まるのはもうやめよう。前に進んで、また新しい出会いのために、生きていこう。トモの命に恥じないように、失敗してもいいから、全力で進んでいこう。たくさんの思い出と、大切な仲間とともに…

運命のアルミの輪が光った気がした…




作/「アニマルズ&ネイチャー」セクション・畜産動物担当 磯野ユキ



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