生きたまま皮を剥がれる動物達の恐怖と苦しみを知ってほしいのです。
こんな残酷なことがこの世にあっていいのかと思うほどの現状を・・・

アニマルライツセンターさんのサイトをご紹介いたします。
「毛皮はいらない」

※大変残酷な胸の痛む画像が掲載されておりますが、
現実を知って頂くためにも御覧頂きたいサイトです。

プラーナでも今後、毛皮反対についての啓発活動に力を入れていく予定です。

追記:プラーナで毛皮反対啓発ポスターを作成しました!

どなたでもご自由にプリントアウトしてお使い下さい。(11/9/1)

プラーナからのメッセージ

親鸞さんの教えをまとめた「歎異抄(たんにしょう)」を学生の時に読んだ際、印象に残ったくだりがありました。

家で飼育している鶏を家族で食べるため、いつも鶏を絞めてみんなの食事を作っていたお祖母さん。
家族はその肉を食事の中で食べます。
しかし孫はそんなお祖母さんを命を殺めているのだから罪深い、残酷だと非難し嫌います。
でもお祖母さんはみんなに食べさせるため、みんなの代わりにあえて自分が罪を背負い、手を汚しているのであって、
お祖母さんに嫌な役を押し付けて、何食わぬ顔でその鶏の肉を食べている家族こそが罪深いのだ。
罪人はお祖母さんなのではない。
お祖母さんを非難することは出来ないのだ。

そんな内容でした。
細かいところはうろ覚えなので若干言い回しのニュアンスが正確ではないかもしれませんが、親鸞さんが言わんとしている教えが胸に響きました。

嫌な役を他者に担わせて、その恩恵にあずかっていながら、自分達の代わりに嫌な役を引き受けてくれているその人の痛みも知らずに安易に非難する。
もしくは罪を作っているのは自分なのに、それに気付いていない。
そしてその罪の尻拭いを罪の無い人にさせる。
世の中にはそんなことが沢山あります。

毛皮の問題に対しても、私はいつもこの親鸞さんの教えが頭に浮かびます。

毎年女性誌の秋冬ファッションにはファーが沢山取り上げられています。
コートだけじゃなくバックにもファーがあしわられたデザインが多く、可愛く目を引きます。
元々フワフワ、モコモコしたものが好きな女性。
犬や猫を可愛いと思うのと同じ感覚で、ファーのアウターやバックを可愛い!と賞賛します。
そんなファッション誌を飾るリアルファーに惹かれて今年も沢山の女性達がファーで身を飾るのでしょう。
知らずに罪を作る・・・
そのファーがどんなふうに作られたのかを知ることも考えることもなく、無邪気に可愛く着飾った自分に喜ぶ。
そんな女性達を見て、私も欲しいとまわりの女性達も思う。
こうして流行という需要が生まれる・・・
ファーを欲しいと思う人がいるから作られる。
需要があるから供給がある。
それを忘れて、毛皮を作るため殺されていく動物達の現状だけを非難は出来ないのです。
酷い虐待に値する現状もあります。
命を命と見ない悲惨な現状もあります。
それらは当然改善されなければなりませんが、例え改善されたとしても、毛皮の需要がある限り、動物達の命が奪われるということに変わりはないのです。

その需要を満たすため動物達を殺す人は心で泣きながら手をかけているかもしれない。
毎夜罪の意識にうなされているかもしれない。
でも家族を養うため泣きながらこの仕事をしているのかもしれない。
犠牲になる動物達も哀しければ、毛皮を欲しがっている人間の代わりに罪を背負い命を殺めている人達も又、哀しい存在なのではないかと思います。

一番の罪人は誰?

・・・知らないということは時に罪なのかもしれません。

日本に住む我々には本当に毛皮は必要でしょうか。
それが無ければ自分の命は守れないでしょうか。
商品を売ろうとする流通や媒体に踊らされてはいないでしょうか。
あなたは毛皮を着なければ美しくなれないのでしょうか。
今はフェイクでもそれとわからないくらい、また本物以上に可愛いものも沢山あります。
それでも絶対本物で無ければならないのでしょうか。
フェイクを着ていたらあなたの価値は下がるのでしょうか。

でも私たちは思います。
命の大切さに気付けないまま知らないまま、本物を着ているあなたより、
命への感謝を知るあなたが着るフェイクの方が、きっとあなたを凛と美しく見せるはずだと。

知らないことは時に罪を生む・・・

だからどうか知って下さい。
そしていっしょに考えて下さい。