第1回「動物・自然保護」セミナー 『熊と人と森を守る』
主催:(「動物・自然保護」啓発団体) プ ラ ー ナ
「地域ステーション」岡山
平成15年9月21日 開催
![]() 講演者/「大地の輪ネットワーク」代表 水野百合子氏 「近年、猪、熊などが山里へおり害獣の名のもと駆除されています。なぜ生き物たちが危険をおかし里へおりてくるのか。 複合的要因がある中でも、広葉樹林が伐採され、杉・檜等の針葉樹林いわゆる人工林に拡大造林されたことが大きな原因の1つと考えられています。しかし、その人工林も現在は過疎化と資金不足で手入れもなされず、荒廃しているのが現状です。 野生動物や自然との共生のために我々に何が出来るのか、何をすべきなのかを考えるため、プラーナでは、奥山に広葉樹林の苗を植樹し、野生動物の棲息地を復元し再び生き物たちを山へ返す事で、地元住民の熊による恐怖・食害を軽減できるのではないかと、活動を続けておられる環境保護団体「大地の輪ネットワーク」の水野代表をお招きして、動物と自然の保護のためのセミナーを開催致しました。 当日会場にお越し頂くことが出来なかった全国の皆様にも、是非共に考えて頂きたく、水野様の御講演を御紹介させて頂きます。」 ***「大地の輪ネットワーク」プロフィール*** 地域住民の、熊による恐怖、食害軽減を目指す環境保護団体(2000年9月に設立会員20名 兵庫県)。奥山に広葉樹林の苗を植樹し、野生動物の生息地を復元。植樹活動・下草刈り・ドングリ拾い・地元との交流を通し、人間と生き物たちとの共存を考える。兵庫県但馬地方を基盤に、他の環境保護団体とのネットワークつくりを目指している。 詳細は水野代表。(0794-48-0680) HPのアドレスはhttp://www.geocities.co.jp/NatureLand/4106/ |
大地の輪ネットワークの水野で御座います。 今日、プラーナさんの岡山県支部設立と言う事で講演を依頼されたのですが、実は私、講演は今日が初めてでして、今まで何度かお声をかけて頂いた事はあるのですが、全てお断りをして参りました。と言いますのも私は見かけによらず大変な上がり性でして、自分の思いを皆さんにお伝え出来るか不安を感じていたからなのです。 でも今回代表の岡居さんからお話を頂いた時に、何故かなんのためらいもなくお受け致しました。きっとご縁があったのではと感じております。 プラーナさんのHPを拝見させて頂きましたが、動物の保護に大変ご尽力を発揮していらっしゃる事にとても感銘を受けました。そして今日、私にこの場を提供して下さいました事に心から感謝を申し上げます。 先程も申し上げました様に講演は初めてですので、お聞きぐるしい点も多々あるかとは思いますが、心ある皆様に甘えさせて頂ければ幸いで御座います。 私は学者ではありません。一主婦が野性動物の命を守りたいとこの5年間にわたり心と体で感じ、また体験して来た事をお話したいと思います。 私は当初ある団体で活動をしておりましたが、納得の行かない事があまりに多く2年程で退会を致しました。その後の見通しもつかない中で2ヵ月が過ぎた頃に、岡山県のY氏から「もたもたしていたら熊はいなくなってしまう」と背中をおされ、一人でも東山先生の様に苗を背負い森つくりをしようと決心を致しました。 東山先生は和歌山県で長年にわたり熊の保護活動をなさり、母親を殺された子グマを保護し、それと同時に一人苗を背負い、熊のエサ場を作ろうと頑張って来られた方です。そのエサ場も今は沢山の実がなり様々な野性動物が来ているそうです。 今日は自然を育む命と題してお話をさせて頂きますが、一口に自然と言ってもその中では多種多様の動植物が生息し、それぞれがお互いに必要とし命の輪となっているのです。 でも、その自然も人間による奥地までの杉・檜の人工林、そしてリゾート開発によって破壊され、近年社会問題となっている野性動物による里での被害の要因となっているのです。地元の方は「昔は熊・シカなど見た事もなく、ましてや熊がいる事さえ知らなかった」と口をそろえて言っています。 大型野性動物が人目にふれると言う事、ましてや奥山で生息をしている熊が里におりるのは森が非常事態なのです。 私は、北海道の大雪山のふもとで生まれ育ちましたが、当然ヒグマの棲息地でもあるのですが、川の上流で水遊び・森の探険などしたのですが、熊による危険など感じた事もなく、親の口から注意など受けた事もありませんでした。ましてや人間の住んでいる場所へ出るなど決してなかったのです。昔はどの地域でも人間と野性動物はすみわけをしていたのです。 その後結婚をして兵庫県へ参りましたが、山と海に囲まれ、なんて緑の多い所と北海道と重ね合わせ嬉しく思ったものでした。でもこの緑が野性動物の命を奪っている事、そして人間も生きてはいけない事を知ったのです。その緑とは針葉樹林。杉・檜の人工林に覆われた山また山だったのです。 戦後、国策で実のなる木、広葉樹がことごとく伐採され生育も早くお金になる杉・檜が植えられて行きました。その時から山の悲劇が始まったと私は思います。 そこに生きている山の命の事を考えず頂上から里まで人工林で覆われ、但馬のある地域では自然林ゼロの地域もあるのです。 植栽当初は苗木も小さく地面に陽が入り下草も生え、生き物たちの食料も確保出来たのですが、これが成長し枝葉が伸びだした頃から下草は消えていったのです。 人工林の植栽方法は密集して植え付け下草が生えない様にする事と、苗を競合させ強い樹木を育てるのが目的ですが、成育の途中で何度か間伐・枝打ちなどの手入れをしなければなりません。戦後日本家屋の建材確保と孫子への代へと植栽した杉・檜でしたが、戦後急成長した日本経済に供給が間に合うわけもなく安い外材が輪入され需要は減って行きました。また地元では過疎化がすすみ、人出と資金不足から人工林は手入れをされなくなり放置されてしまったのです。 みなさんは手入れのされていない人工林に入った事はありますか。枝は伸び放題で陽が入りませんので下草が生えるわけもなく地面はかわき真っ暗なのです。また針葉樹の根は直根ではなく根が浅いために土砂くずれなど自然災害に弱いのが弱点なんですね。 広葉樹は根が直根でそれを軸として横に根が広くはるため災害に強いのです。 現在、放置された人工林は花粉症と言うやっかいなアレルギーの原因となり、今では地元住民も花粉症に悩まされている笑うに笑えない事態となっているのです。 熊など生き物たちが里へ下りだしたのも山の手入れがされなくなった頃からですが、イノシシなどの被害は昔からあり石垣などで防護して来たのですが、現在ではとてもそれでは補えなくなって来ました。 ドングリなど実のなる木が伐採され人工林に代わり、それに加えリゾート開発で山は削られ林道は網の目につくられ、生き物たちの食料は次々と消えて行ったのです。 危険をおかし里へおりると害獣として駆除され、熊は人を襲うと言う恐怖から目撃されただけで有害をかけられました。 熊は兵庫・岡山・鳥取の東中国地方では絶滅危惧種となり、兵庫県では平成8年に狩猟禁止になりましたが、毎年罠にかかる誤捕獲の熊がおりほとんどが放獣される事なく殺されているのです。 わずか70〜80頭しか生息していない中で平成14年は7頭が駆除されました。 放獣するにはその地域の許可が必要で、どうぞ熊を放獣して下さいと言う地域はめったにあるものではありません。 狩猟禁止になってもなんら変わる事なく殺されているのです。 県の調査によると山の実が豊作の年には捕獲数も目撃も少なく、山に食料があれば里へはおりて来ない事が実証されています。 私は2000年9月に会を立ち上げ広葉樹の植樹活動を始めましたが、Y氏に背中を押された事がきっかけではありますが、あまりに不条理に生き物たちが殺されている現状を知りこのまま活動を止める事が出来ませんでした。 人間の欲によって山を追われた生き物たちは、一体どこで何を食べ生きていったらよかったのでしょうか。たしかに生産者にとって農作物被害は死活問題です。でも果たして生き物たちを殺す事で解決出来るのでしょうか。 兵庫県では昨年狩猟と有害で約1万頭のシカが殺されました。毎年この事が繰り返されても状況は変わる事なく、むしろ食料をもとめまた銃から逃れるために生息域を広げたのです。 ハンターは近年シカの個体が小さくなり数も減っていると言います。 イノシシはぼたんなべで有名な丹波篠山で絶滅状態で、他の地域まで出掛け捕獲している状態です。でも地元では今まで見た事のない熊・シカが出る様になり、増えたから出ていると言う。これはとんでもない誤解なのです。現在、メスジカを狩猟で一日1頭とっていい事になっていますが、メスジカを撃つと言うのはお腹にいる子供をも殺す事であり2頭を殺す事になるのです。至る所に防護柵がはりめぐされ、あげくに子供も殺されている中で、何故増えていると言えるのでしょうか。 生息調査にしても広大な山の中まで、ましてや木々が生い茂っている中で頭数を出す事など到底不可能な事なのです。 私は常時山へ入り痕跡など調べて来ましたが、5年前まではリュックを置く場所に困るほどシカの糞がありましたが、この3年の間に乾燥した糞をわずかに見るだけになりました。先ほども申し上げた様に狩猟で激減したのと、他の地域に移動をしていると考えられます。 熊は東中国をはじめ、西の地域では今や絶滅が危惧され、保護を訴える声が聞かれる様になりましたが、以前は予察駆除が行なわれていました。害をあたえるかも知れないと冬眠中の熊や冬眠明けの熊を殺していたのです。勿論子熊も一緒にです。また、数年前までは罠にかかった生き物は銃で殺す事が法律で認められず、鉄や竹やりで何度も何度も突き刺し殺していたのです。 害を与えるかも知れないといって殺されている生き物たち。食料をもとめ里へおり殺されている生き物たち。生き物と言うだけで何故こんなにも簡単に命がうばわれるのでしょう。 どの命が大切でその命が大切ではないと人間に決める権利があるのでしょうか。私はどの命も平等である事を基本として活動して参りました。 いらない命などないのです。たとえ人間にとって必要ないと考えている生き物も他の生き物にとっては大事な存在なのです。 食物連鎖の言葉通り、その生き物がいなければ生きていけない物もあるのです。 ドングリなどの堅果類は自家受粉が出来ず、昆虫・鳥などによって受粉し実をつけます。また生き物たちの排泄物は木の成長を促進し、あるものは種を運び分布を広げる役割を果たしているのです。 確かに野性動物の被害は甚大です。でもその原因を作ったのは他ならぬ人間なのです。 今、自然破壊のつけを地元は被害を受ける事でつけをおわされていますが、それでは都市民は知らない顔をしていていいのでしょうか。 皆さんが今すっている空気、蛇口をひねるとあふれるほどの水は一体どこから来るのでしょう。森なんですね。木は二酸化炭素を吸収栄養とし酸素を吐き出し、特に広葉樹は保水力が高く蓄えられた水は一定の量を大地に戻し、秋になり落葉した葉は分解され栄養となり、水とともに川へ流れ海へとそそぎ海の生き物たちを育むのです。 自然界ではいらない物は何ひとつなく、人工林・乱開発によって人間はお金にはかえられない沢山の財産を失って来たのです。 地元の川は今、水量がへり、このままでは農業用水にも影響が出るのではと危惧しています。 大地の輪ネットワークは植樹活動をして4年目に入り、今日現在で、3500本をこす広葉樹の苗を山の奥地へ植栽して来ましたが、これは里におりた生き物たちをもう一度山へ帰そうの願いからでした。そうする事で里での被害を軽減でき、その事で生き物たちの命をも救えると考えたからです。 当初会は5人と言う少人数の上、野性動物の保護活動をしている一主婦に果たして山の提供があるか不安でしたが、思い切って以前お世話になった朝来町の町会議員の奥様を訪ね、私の思いを話した所、直ぐに森林組合の参事に話をして下さり、役場を含め相談の結果杉伐採跡地の提供を頂く事が出来ました。会を立ち上げたばかりで実績のない会には助成金の申請は一年をまたなければならず、用具・資財・苗の購入は全て持ち出しで行いました。奥地への資財搬入は約30分の山道を登る大変な労力でしたが、出来るだけ奥地での活動を願っておりましたので、こんなラッキーな事はありませんでした。 役場・森林組合・地元自然保護団体・地区住民のご協力を頂いての第1回植樹活動でした。朝来町は但馬地方でもシカの被害が一番多く一時シカの撲滅運動までした地域です。昨年は熊が民家に入り住民が驚き悲鳴をあげ、その悲鳴に熊も驚き風呂場の窓から逃げた。そんな地域の役場をはじめ、山の提供をして下さった地区住民の方々には感謝の気持ちでいっばいでした。第3回の植樹には町長自ら山へ足を運んで挨拶をして下さいました。また、地区住民の方々は足場の悪い登山道の整備をして下さり、今では家族と一緒に作業をしているそんな気が致します。 今年春からは活動地域を広げ、但馬地方関宮町での植樹が始まりましたが、関宮町は氷ノ山山系に位置しており、兵庫県でも熊が多く生息している地域ですが、ご多分にもれずリゾート開発され林道も多数ある地域です。 今回植樹した場所は、標高900M、面積4.5ヘクタールの杉伐採跡地で、地区が1.5ヘクタールに再度杉を植栽し、残り3ヘクタールは大地の輪ネットワークが実のなる木広葉樹を植栽しています。 関宮町は熊の目撃が度々あり、ハチ高原など観光地であるため民宿も多く大変気を使っている地域です。会を立ち上げた時に野性動働の保護活動をしている当団体には山の提供はしてくれないだろうと最初からあきらめていた地域でもありますが、たまたま会員の方が現地を通り大地の輪で植樹出来ないだろうかの提案が出され、現地を視察した後だめもとで地区区長を訪ね提供をお願い致しました。 嫌味のひとつも言われる覚悟で訪問をしたのですが、とんでもない誤解をしていました。当会の野性動物の棲める森つくりに提供をして頂けないかの要請に心よく承諾をして下さったのです。 当初4.5ヘクタール全面積の提供をお願いしたのですが、先祖から受け継いだ杉林であり、そのおかげで公民館を新設する事が出来たので少しは杉を植えたいの考えもあり、3ヘクタールの提供を頂きました。 地区の長老から散策道も作ってくれないかの要望が出されたのですが、私はこれ以上人間のための公園化した山は必要ないと感じておりましたのでお断りを致しました。 心強かったのは、地区の若い方から今そんな事を考えるより熊が里におりない様にする事が先ではないかの言葉が出た事でした。 確かに杉・檜はお金になり地域を潤した事もあったとは思いますが、その代償はあまりにも大きかったと思うのです。 杉伐採跡地は水源保安林のため、2年以内の植栽が義務付けられており、昨年夏から協力者あつめに奔走しました。なによりも幸いだったのは、県民局森林整備事務所の全面協力を頂けた事でした。保安林ですが助成金が出る事も知らなかったのですが、助成金の申請から苗の購入、更になんとか防護柵を設置してほしいの要望に、所長が助成金の中から捻出して下さったのです。そればかりか県が発行している機関誌や緑の少年団にも声をかけ参加を呼びかけて下さったのです。 また看板・休憩用の長椅子まで提供して下さり、県の職員の方が、法人ではなく市民団体に役場・森林組合・地元住民を巻き込み、縦割りの立場をこえたこんなケースは聞いた事がないと驚いていました。 植栽は今年春と秋そして来年春の3回にわけて行なう事とし、春には2100本の植樹を致しました。 雨の中で泥まみれになりながらの作業でしたが、皆さんの口から出た言葉は苗のためには雨がいいの優しい言葉でした。 この秋、朝来町で200本・関宮町で2060本の植樹を致しますが、これらの苗が成長し森となり気がつけば最近生き物が里におりなくなったの言葉が聞ける日を信じたいと思います。ちなみに今順番に苗の手直しに入っていますが、3年目のシバグリに実がつきました。このまま順調に成長してくれる事を願うばかりです。 先日テレビで見た映像から話をしたいと思います。 今、日光のニホンザルの観光客への被害が同題になっていますが、これも人間が食物をやった事からこの事態がおきたのですが、その映像は観光地からはなれた集落のサルの被害でした。当然のごとく有害がかけられ、そのオリに親子のサルがかかりました。 猟友会が銃をもってオリに近付いた時、母ザルは子ザルを庇う様にすっくと子ザルの前に立ちはだかったのです。子ザルは母ザルの後から顔をのぞかせていました。銃の音がし、親子はビニールの袋にいれられました。 北海道釧路湿原の開発の話が出た時に、10数名の方が保全に立ち上がりました。皆さんもご存じの様に、湿原には天然記念物のタンチョウヅルが生息しています。 この10数名の方々は、湿原に生息している動植物を出来るだけ調査をし、保全を要請しましたが、この地域には酪農を営んでいる住民もおり、保全に反対の意見も多数ありました。そんな中で双方が譲歩しあえる一定の面積を保全する事で一旦は同意したのですが、野性動植物の保全には同意した面積では不足な事がわかり、保全面積の拡張を要請しました。でも借金をして土地を購入したある酪農家は猛反対です。 そんな時、産業廃棄物から火災がおき、湿原全体に広がり消火活動は中々はかどりませんでした。そんな消火作業の中、煙の中、木の上でみじろぎもしないサギを見たのです。何故逃げないのか不思議に思い、じいっと見ていると木の上に鳥の巣があったのです。母鳥はその巣をまもるために火の中を逃げようとはしなかったのです。その光景を見た酪農家は感動して湿原保全に同意し、今その事に後悔はしていないと言っていました。 私事で恐縮ですが、現在我が家には6匹の猫がいますが、全て捨てられた子たちです。内一匹は外猫の子猫で、目に異常があるので保護をし、現在目薬で治療をしています。それからが大変なのです。親猫涙ちゃんの返せコールです。一時も家の周りを離れず、目で子猫を追うのです。その子猫は親の心子しらずでやんちゃな毎日です。 これらの話を聞いて皆さんはたかが生き物の命と言えるでしょうか。私は「全ての命あるものは生きるために生まれてくる」この当たり前の事を活動の基本として今まで活動をして来ました。 生きるために生まれて来る。次世代へ命をつなぐために生きるのであり、この自然界に生きている様々な生き物の中で、人間だけが管理を許される筈がないのです。それは人間のおごりそのものなのです。 自然界の生き物たちは時には増え、またへったりして生き物自身で命の管理をして来たのです。増えた年には当然食料も不足し、飢え死にするものもあるでしょう。また自然環境、病気などで大量に死ぬ時もあるのです。その中で強いものだけが生き残る。熊は交尾をしても秋に十分な食料がない時には自ら子を流すと開いています。それが自然界の摂理なのです。でも今、シカ・熊は人間の手によって頭数を管理する、いわゆる保護管理計画が出されました。 熊の場合は絶滅に追い込まれていますので、本当の意味で保護の方向で動いていますが悲惨なのはシカ・イノシシなのです。 兵庫県では昨年約1万頭のシカが狩猟と有害駆除で殺されており、今期から狩猟が1ヵ月延長になり尚いっそう多くのシカが殺されて行く事が懸念されます。 ハンターはシカは個体が小さくなっており激減し、イノシシは絶滅状態と言っていても、現実今まで見た事のない生き物が人里におり、被害を受けている地元住民にすればふえたからと思うのも仕方がないのかもしれません。 被害があるからと人間が生き物たちを大量に殺しはじめた事で生態系が壊れている事。 人間が生き物の事を考え自然と関わっていたならば、これだけ生き物が消えて行く事はなく、それぞれが棲むべき所で生きていけたのです。 自然界は太古の昔からゆっくりと動き、その中で消えて行くもの、そして新しく生まれるものがあり、そうして今があるのです。今こうしている時でさえ自然界は動いているのです。 私が野性動物の生息地再生の活動をしているのは、あまりにも人間の手によって自然界がいじられ、生き物たちが殺されている事に不条理を感じたからなのです。 それぞれが自然淘汰するのであれば、おそらく私はこの活動に関わる事はしなかったでしょう。生き物たちはそれぞれが棲み分けをして来た中で、人間だけがどこまでも侵入し破壊をして来ました。もうこれ以上の破壊・侵入を止め、一歩も二歩も下がるべきではないかと思うのです。 自然は人間のためだけにあるのではない事。自然の恵みは全ての命あるもののためにあると言う事を今一度思い知らなくてはなりません。 未来へむけての植樹活動をはじめる事は出来ましたが、問題なのは今生きている生き物たちをどうしてまもって行くか。大地の輪ネットワークは全国からドングリを送って頂き奥山へ運んでいます。昨年は約800キロのドングリを運ぶ事が出来ました。 大地の輪の活動を知り、横浜の小学校も全校生徒が集めたドングリを送ってくれました。 800キロではとても足りない事は承知していますが、皆さんの生き物たちをまもりたいと思う気持ち、心はけっして無駄ではなく、そのドングリのおかげで命を永らえる事が出来るものもいるのです。ドングリを運んだ後、必ず調査に入りますが全て食べられています。他に木イチゴを移植したり夏の食料の確保などにつとめていますが、とても追いつくものではありません。春に植裁した山ザクラの苗はほとんどシカに食べられてしまいました。被害を軽減する事が野性動物の保護のつながると植栽をしても、シカ・ウサギなどに食べられてしまういたちごっこの戦いですが、投げ出すわけには行かないのです。 人間によってこんにちの事態をむかえたのですから、人間によって森を再生する事は今生きている私たちの責任ではないか。それが計りしれないほどの恵みをあたえてくれた自然へのお返しではないでしょうか。 地元の方々は、都会の人は木を植えに来て、ただそれだけで手入れにも来ない。私有地に無断で入り山菜を根こそぎ取って行くとこぼしています。 私は大地の輪が決して都会人の気紛でこの活動をしているのではない事を知ってもらうために、見回り、手直しなどに何度も山へ入り、また地元での事業には出来るだけ参加をして交流をして来ました。野性動物の保護活動は保護団体の一方通行であってはならないのです。現実被害を受けている住民にも耳をかたむける事は必要な事なのです。 今では地元の方から熊がいてもいいじゃないか。シカの保護管理など必要ないの言葉を聞ける様になりました。 また、他の住民の方から何度も足を運ぶ姿を見て、家に泊まったらいいよとまで言って下さり、活動の励みになっております。 関宮町は地区の公民館を自由に使ってと好意的にむかえて下さり、この活動をはじめて大勢の人と言う財産を頂く事が出来ました。 森つくりは人間も含め全ての命の源を保全する事であり、他人事ではなく自分自身そして次世代へ命をつなぐ事と認識して頂けたらと思います。 今、私が願うのはこれ以上自然破壊ををしないでほしい。人間よりもはるか昔からこの大地で生きて来た生き物たちをそっとしていてほしい。それだけなのです。生き物たちはこう思っているかもしれません。自分の命は自分のものであり、人間の自由にはされたくないと。 |